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第2章 「1960年 LewisLeathersの登場」

1960年代

若者から老年まで幅広い年齢層でのモータサイクリングの人気が出てくると同時に、Dルイスのレンジはますます拡大していった。 ショートボディのレザージャケットが入手可能となり、ハイウェイ・パトロール、 プレーンズマン、ワームウェア、コメット、カントリーマンといったスタイルが現れ、それらは若年層のモータサイクリングファン同様、流行に敏感な若者にもアピールした。

1960年

Dルイスは、より若い層を狙った自社衣料レンジに「ルイス・レザーズ」という名称で発表。独特な筆記体のロゴが誕生した。 音楽とスポーツの雑誌に掲載された宣伝広告は流行に敏感な層をターゲットにしており、彼らに送られたカタログはモーターサイクリスト達が手にするものとは異なっていた。 それらのカタログには、レザージャケット、パンツ、いくつかのブーツのみが掲載されており、デザイナーはアメリカ・ブルックリンの「バッド・ガンズ」となっていた。 第二次世界大戦後の灰色の時代に、アメリカは英国ティーンネイジャーにとって夢の場所であり、アメリカ的なものは全て魅力的なものだと捉えていた。 ※バッド・ガンズ・・・別名「ハロルド・I・ガンズ」、ニューヨーク・ブルックリン出身で60年代のDルイスのアメリカでの代理人。 バッド・ガンズが「ルイスレザーズ」のレンジにあるデザインにいくつかのアイデアを提供したことはありえるが、それらの多くは既にDルイスの衣料レンジに存在していた。 また短期間ではあるが、バッド・ガンズという名前は当時のルイスレザーズのいくつかのアイテムのラベル上の星条旗に特色としてつけられた。 また、同時代の同じスタイルの衣服には「AVIAKIT」と「Dルイス」のラベルが付けられることもあり、これはDルイス/ルイスレザーズの歴史会社がパイオニアであり、大戦後のみすぼらしさを振り切ったという興味深い時代を示している。

1962年

59クラブのモーターサイクルセッションが誕生し、神父ビル・シャーゴールドがDルイスに赴き、ブロンクスジャケット、ハイ・フライトブーツ、ゴーグル、グローブ一式を揃える。 DルイスはメロディメーカーやNME(New Musical Express)、フットボール・マンスリーといった若者向け雑誌に宣伝広告を掲載しはじめる。 この年、ライトニング・ジャケットが発表され、ベストセラーのジャケットになるにつれ、ルイスレザーズにとっては新たな方向性となっていった。 全てのジャケットに、より大きな黒と赤の「AVIAKIT」のラベルを独自の赤の裏地に縫い込ませた。

1964年

英国南部の海辺の街、ブライトンでモッズとロッカーズの衝突がある。 これら双方のギャングは共にルイスレザーズを着用していた。 ロッカーズは彼ら独特のレザージャケットとモーターサイクルブーツに身を包み、モッズはDルイスの「ビートブーツ」と恐らくは「マディソン」、「リージェント」または「ウィークエンダー」ジャケットを着用していた。 スティーブ・マックイーンがUAS ISDTチームと共に東ドイツで開催される1964年シルバーバーストロフィーのレース用に 用具一式を揃える為に Dルイスを訪れる。 ルイスレザーズは、同レースにてブリティッシュISDTチームのスポンサーになる。

1966年

ゴールドの「Lewis Leathers」と羽をつけたオーバルのレザーパッチがレザージャケットの前部に取り付けられる。 60年代の終わりに近づくに連れ、より多くのプロ・ドライバーがルイスレザーズの製品を着用、支持するようになる。 彼らの中には、ジャトコ・アゴスティーニ、ジョン・クーパー、デイブ・クロックスフォード、レイ・ピックレル、フィル・スマート、そしてもちろんのこと、デレク・ミンターがいた。

1968年

スポーツマン・ジャケットが発売される。 「コンチネンタル」レーシングスタイルがルイスレザーズのレンジに加わる。

CHAPTER  2   
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